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エッセイ

化粧心理学のご紹介

阿部 恒之(東北大学大学院文学研究科心理学講座 教授) 2012年5月1日

心理学と聞くと、フロイトや精神分析などを思い浮かべる方が多いと思います。しかし心理学は「人の心の仕組み・ありよう」の解明を目指す学問であり、実態はそのイメージと多少異なるかもしれません。たとえばfMRIによる脳活動の測定や唾液中コルチゾールの分析を行なう研究者もいます。いわゆる「実験室」のイメージです。その一方で、アルゼンチンの移民社会に溶け込んで観察や面接を行なう「現場」の研究者もいます。こんな多様なアプローチ、関心の対象のひとつに「化粧はいかなる心理作用をもたらすか」というテーマがあり、これを化粧心理学と呼んでいます。1980年代半ばから、このテーマは盛んに研究されるようになってきました。心理学の学会発表や書籍の発刊もあいつぎ、いまや卒業論文の定番テーマのひとつになっています。

なぜ化粧が多くの研究者の興味を引くかというと、第一に、研究対象としての間口の広さが挙げられるでしょう。視覚研究優勢の心理学において、スキンケアは貴重な皮膚感覚の刺激材料を提供し、そのリラクセーション効果は生理心理学の好適な研究対象となります。メーキャップは顔の認知という人気のあるテーマに関連が深く、臨床的な応用(化粧療法)が注目されています。フレグランスも香りの心理効果、つまりアロマコロジーの刺激材料として欠かすことができません。

第二に、化粧品が心理的な機能を要求することが挙げられます。つけて心地よい、きれいになる、そういう心理的価値の実現こそが化粧品に求められる最大の機能です。ですから、化粧品メーカーの研究所では、化粧品の原料や処方とともに、化粧の心理学も研究されているのでしょう。アカデミズムのみならず、化粧品産業がその担い手となることで、化粧心理学の裾野を拡大しているのです。

さて、化粧心理学の成果をごく短くまとめると、「化粧は日常生活に組み込まれた感情調節装置である」ということです。朝、スキンケアの後にメーキャップをします。これは社会に飛び出す「公」の顔をつくる準備行動として機能し、はつらつとした気分の高揚をもたらします。そして外の世界で一日がんばった後、家にたどり着けばメーキャップを落とし、ゆったり手間をかけて自分の顔を慈しみます。これは外に向けて張りつめていた心のアンテナを自分に向け直して「私」の顔に戻る作業であり、気分が鎮静化して安らぎます。つまり、朝の化粧で心を固く結び(はげみ)、夜の化粧で心の結び目をほどく(いやし)。そんなイメージです。

2011年3月11日の東日本大震災は、私の住む東北地方に甚大な被害をもたらしました。ありがたいことにいくつかの化粧品メーカーは、化粧品の無料配布や美容サービスで被災者に貢献して下さっています。化粧と被災者支援はにわかに結びつかないかもしれませんが、上記のように、化粧には感情調節作用があります。生き延びることに精いっぱいの時期を過ぎると、朝昼晩の暮らしのリズムを立て直し、日常を取り戻す時がやってきます。その時、化粧が公の顔と私の顔を切り替える日常リズム回復の貴重なきっかけを与えてくれるのです。小さな「いやし」と「はげみ」をもたらす、感情調節装置としての化粧。被災者の生活復興に向けて、化粧も貢献しているのです。