エッセイ

声で癒す

梶谷 久美子(桜美林大学非常勤講師、トマティス聴覚カウンセラー) 2013年4月15日

「1/fのゆらぎ」という言葉を耳にされたことはおありでしょうか。小川のせせらぎの音や星の瞬き、ろうそくの炎の揺れなどにみられる自然界に存在するリズムのことをいいます。私たちの心臓の鼓動や眼球の動きなどの生体リズムにもこの「1/fのゆらぎ」があるため、自然界の「1/fのゆらぎ」のリズムを感じると身体がそのリズムに共鳴して心地良さを感じます。また、声に「1/fのゆらぎ」があるという歌手や声優さんは「癒しの声」の持ち主としてよく話題にのぼります。しかし、この「癒しの声」はごく限られた人たちだけのものではなく、誰もが「癒しの声」で語り・歌うことができるようになることをご存じでしょうか。フランス人の耳鼻咽喉科の医師であるアルフレッド・トマティス博士の聴覚・発声理論に基づいて「1/fのゆらぎのある癒しの声」ついてお話させていただきたいと思います。

私たちが発している声は気道と骨導の二つの経路でつくられた音が合わさったものです。肺から吐き出された息が声帯を振動させ、喉・口・鼻の中で共鳴する経路が気道です。そのときの声帯の振動が全身の骨に伝わって響きをつくる経路が骨導です。録音された自分の声を聞いたとき、普段自分の声だと思っていた声とは違うので違和感を感じたという経験は誰もがおもちだと思います。録音された自分の声を聞くときの音声は外耳を通り鼓膜を振動させて聴覚神経(内耳)に伝えられますが、自分で聞いている自分の声は声帯の振動が頭蓋骨を伝って直接聴覚神経に伝わったものだからです。つまり私たちは耳と骨の振動の両方を通して音を聞いているわけです。

オーケストラの演奏を聞いて全身が震えるような快感を味わったことはありませんか。それは演奏された音が全身の骨を震わせてくれるから気持ちが良いのです。同様に私たちが声を発するときも骨を振動させて伝わる骨導音を大切にすれば、その声を聞いている自分自身とその声を聞いている周囲の人たちをもリラックスさせることができるようになります。

骨導音とは「響き」であると申し上げましたが、私たちは練習すると気道を使わずに骨導音の響きだけを発することができるようになります。それはお寺の鐘を鳴らしたときの余韻のような音です。お寺の鐘の響きには「ウォ~ンウォ~ン」といった心地良いゆらぎがありますね。それが「1/fのゆらぎ」です。まず身体を緩めて深いため息をついてみてください。そしてそのため息を静かに伸ばしていきます。声を出すのではなく、ただ息が身体の中の骨を伝って流れて行くのを感じてください。身体のどこにも力を入れないで、息の流れが身体の中に響いていく感覚を味わうだけでOKです。このときの息の流れの振動音にも揺れがあります。それは心臓の鼓動ですので「1/fのゆらぎ」になっています。この「1/fのゆらぎ」のある骨導音の響きを感じることで自分自身をリラックスさせることができます。

またこの響きを伴った声で話をするためには、「自分の声を聞きながら話す」ことを心がけてみてください。自分の声を聞きながら話していると、骨導音の響きが声の中に含まれて優しく深みのある声になります。それが「1/fのゆらぎのある癒しの声」です。響きを伴う「1/fのゆらぎのある癒しの声」で話していると、身体の緊張がほぐれてリラックスするので、心穏やかに人と話をすることができるようになります。そしてその声は聞き手の身体の骨も心地よく振動させるので、聞き手にも癒しを与えます。さらに、骨導を介して伝えられるメッセージは聞き手が「聞こう」と努力しなくても自然に身体の中に入っていきます。一方、気道音のみの声によるメッセージは、聞き手の方で「聞こう」としない限り聞き手の身体の中に入っていくことはありません。

興奮しているときや緊張しているときの私たちは自分の声を聞いていません。そのようなときは気道のみを使って話しています。響きのない気道音のみの声で話し続けていると身体が疲れるだけでなく、声帯を痛めます。聞き手の方も響きのない声を聞かされ続けていると疲れてしまいます。いわゆる「耳障りな声」というのは気道音のみで、響きが含まれていません。そのような声によって発せられるメッセージは、聞き手の骨導を介して伝えられることはなく、聞き手の「聞こう」という意欲をも削いでしまうので、聞き手に伝わりにくくなってしまいます。一生懸命に話しているのにもかかわらず、そのメッセージが聞き手に伝わらないというのはとても残念なことではないでしょうか。

周囲の方々とコミュニケーションをなさるときには声の響きを大切にしてみてください。自分自身と相手の方の双方に癒しをもたらすと共に、ご自分の思いをより良く相手に伝えることができるようになると思います。